スマホの画面を大きくしたものがタブレットである、という印象が長年続いてきました。
しかし、今回私がiPad Proを購入して近年のタブレットは決してそうではないということにやっと気づいたので、その理由をいくつか紹介したいと思います。
iPadOS以前、以後
タブレット、特にiPadの歴史はiPadOS以前と以後に分かれると後年評価されるでしょう。
iPadOSはiPhoneOSとMacOSの間に、まろやかな混ざり合いの中に生まれたOSです。
なぜそれがエポックなOSと感じるのか。
それは私たちの生活の中にスマートフォン、iPhoneが完全に浸透しているからです。
iPhoneはプライベートからパソコンを駆逐した
私たちは仕事や業務で使用する以外にどれだけの時間をパソコンの前で過ごしているでしょう。
そう、意外とその時間は多くなく、帰宅してから個人のパソコンを触らない生活を過ごしている方も多くいるはずです。
帰宅してSNSを見て、メールチェック、ネットサーフィン、YouTubeを見て寝落ちする。
そんな行為はパソコンが無いとできないのではなく、スマートフォンでもできますし、むしろスマートフォンが主役です。
パソコンが起動するのを待ってマウスやトラックパッドで操作して…なんてしなくてもポケットのスマートフォンで指一本で同じことができるのなら、人間はより簡便な方法に流れてゆきます。
少なくとも20年前、ないしは10年前まではそれらはパソコンの独壇場でした。
しかし低い土地へ水が流れるように、我々は利便性と手軽さを求めスマートフォンへと流れ着き、今やそれは大きな湖となっています。
市場が拡大すればそれだけビジネスにつながりますから、スマートフォンでできることは雪だるま式に増えてゆき、どんどんその利便性は大きくなります。
結局今ではパソコンに求める役割のほとんどはスマートフォンでできますし、スマートフォンでないとできないことも多くなってきました。
しかしポイントはここです。
パソコンの「ほとんど」の役割はスマートフォンでできる。
「ほとんど」ということはできないことも確実にある、ということなのです。
スマートフォンとパソコンの壁
物理的な壁
スマートフォンとパソコンの一番の違いは何か。
答えは簡単、形が違うのです。
画面の大きさが違うのです。
世の中の文字は小さすぎて読めない理由、それはなぜか。
スマートフォンの画面が小さいからです。
YouTubeなどのネット動画コンテンツが発展しても、家の中心にテレビがあるのはなぜか。
テレビの画面が大きいからです。
その点、タブレットはその障壁を超えてゆきました。
そう、スマートフォンの機能をほぼそのままに画面を大きくしたのです。
ですがその結果、タブレットは画面が大きいスマートフォンという印象を現在まで抜け切れていないのです。
機能的な壁
人々がパソコンを手放せないのは、画面が大きいからだけではありません。
コンピュータにしかできないことがまだまだあるからです。
デスクトップ画面でファイルをクリックして、様々なアプリケーションを開きながら横断的に操作する。
残念ながらタブレットではそのようなことは完全にはできません。
また、CPUに対して高負荷となるような高度な作業、専門性の高い作業、これらはタブレットでは太刀打ちすらできません。
iPadOSの革新性
しかし、iPadOSの登場によって状況は一変します。
いくつもiPadOSの新機能はありますが、
- マルチタスク機能の強化
- 直感的なファイル・データ管理
- USBハブ・外部ストレージ対応
- ブラウザのデスクトップ表示化
どれも小さなものに見えるかもしれません。
ですがこれらの機能の合わせ技が効いてきます。
例えば、このブログ。
iOSのiPadだったなら、ブログを始めようとは思わなかったでしょう。
しかし、iPad Pro・Smart Keyboard Folio・iPadOSの三種の神器によって全く違和感無くブログを書くことができています。
従来のパソコンでは、起動のハードル・持ち歩きのハードルが高すぎます。
また、iPadはパソコンと比べてマルチタスクが苦手という向きがありますが、私の作業環境は
このように、書くことと調べることの2つの作業環境が同時並行できることは非常に必要十分ですし、むしろ画面に余計な情報がなく捗るとも考えられます。
写真・動画編集も、カメラからデータをiPad内に移すには、今までは一度パソコンを介すか、アプリ経由で写真appに移すしかありませんでした。
しかし、iPadOSではUSBハブを介して直接iPad内のファイルappに何も考えずに入れ、後は各appでそれらを拾い上げて好きなように編集、出来上がった物は外部ストレージにどんどん入れることで本体のストレージだって減りません。
iPad ProのUSBハブを介したストレージ等の活用は以前のエントリにもある通り。
今なら、写真や動画編集は標準appやAdobeのappに頼らずとも優秀なiPad用のappがたくさんありますし、iPadだけで撮影・編集・アップロードまで完結しているYouTuberもたくさんいます。
パソコンと同じを求めるな、私たちにはiPadがあればいい
iPadでできることが増えたと言っても、パソコンの全てができる訳ではないですし、パソコンがあれば全てができるのです。
しかしそれでもiPad、タブレットがパソコンを駆逐するであろうと考える理由、それは
もう私たちにはiPadOSがあれば十分な作業ができる
そういうステージまで来ているからです。
私たちの求めるものは何なのだろう
優秀なappによってiPadの操作環境は非常に高い水準まで来ています。
iPhoneでできることの全ては網羅できますし、 iPadOSはそれ以上にできることが多くあるのは先に述べた通りです。
それ以上、私たちに必要なことはありますか?
答えはNO、そう考えます。
業務使用ではなくプライベートな時間に限定したなら、より強くNOと言えるでしょう。
それだけiPhoneとMacの間の壁を溶かし混ざり合ったのが現在のiPadなのです。
私たちの求めるものはiPadにある
これからのパソコンは、個人利用という面では
- スマートフォン・タブレットの補完、母艦
- 趣味性の高い機械
の二分化が行われてゆくでしょう。
個人でパソコンを持つ目的は、どうしてもMicrosoftOfficeをデスクトップ環境で使用しなければいけない場合など(すでにタブレットでそのほとんどはできるが)や、スマートフォン・タブレットのバックアップを行う(これもiCloudでできてしまう!)ため、
もしくは、ゲーミングパソコンなど個人で高負荷・高度な作業を行うための趣味性の高いものになってゆくと私は感じています。
それだけ、パソコンは我々の生活利用にはすでにオーバースペックなのです。
だからこそ、私たちの求めるものはiPadにある、iPadに求める以上のものなんてのは私たちの生活には思いのほか無い、そう思うのです。
いずれその時は訪れるだろう
今はiPadを始めとしたタブレットが趣味性の高い機械で、パソコンが一般的と考えられています。
ですが思い出してください。
iPhoneが携帯電話市場にやってきた時は、一部の趣味性の高い特異な携帯電話でした。
しかし、今ではスマートフォンが標準的な携帯電話で、パカパカしたりスライドしたりする携帯電話は、ガラケーだとかフューチャーフォンだとか散々な言われようです。
だからこそ、近い将来個人が持つコンピュータの最適解はタブレットになる、そう考えるのです。
InstagramやTwitterなんかはデスクトップ用であってもスマートフォンのUIが基本ですし、20代までのデジタルネイティブ世代は自分のコンピュータなんて持っていないでしょう。
すでに状況の変化は始まっています。
「iPadあればだいたいできるんだから、パソコンなんていらなくない?」
それがスタンダードになる日は、もう、すぐそこですよ。
それでは。
コメント