みなさん、腕時計愛していますか。
私は左手を見るたびに多幸感に包まれます。
なぜ多幸感に溢れるかというと、自らが本当に欲しくてたまらなかった腕時計を手に入れることができたからです。
入手の難易度や価格に悶絶しながら、店舗に何度も足を運んで熟考に熟考を重ね、念願のモデルを手に入れるのです。
しかしコピー品が市場に溢れかえっているのも世の常。
安く、簡単に手に入る偽物。
今回は私の少年時代の思い出から考える、そんなコピー品の話を。
親は私に「高い本物を買えず安い偽物を買うなら買わない方が良い」と言った
中学生のある日
中学生にもなると、ブランド物への興味が生まれてきます。
友人たちは財布をルイヴィトンにしただのなんだと教室で語り合う頃です。
そんな時代のブランド財布なんて偽物か本物か分かったものではありません。
少年時代の子供たちの生活など、今考えれば残酷なほどに家庭環境が如実に反映されます。
アルバイトをしている子はいませんでしたので、その財布をどのように手に入れたかなど
- 親に買ってもらう
- 親・兄弟・親戚のお下がり
- 偽物を買う・買ってもらう
の三択くらいなものです。
友人がかっこいいものを持っていれば自分も欲しくなるのは子供の性。
うらやましくなった私は金額もわからないような財布を親にせがみました。
親は言った
「そんなものはいりません、うちにはそんなお金はありません」
そりゃそうだ。
単純明快。
しかし少年の私も策が無い訳ではありません。
すぐに二の矢を打ちます。
「安い偽物でもいいから買ってよ」
そう私が言うと親が言ったのが件の言葉です。
「高い本物を買えず安い偽物を買うなら買わない方が良い」
この言葉を聞くと私は妙に納得して、すごすご引き下がりました。
私の考え方に与えたもの
少年だった私は
- 身の丈に合わないものを身につける恥ずかしさ
- 偽物を身につける恥ずかしさ
- 身の丈に合わないものの偽物を身につける恥ずかしさ
一言でこの3つを同時に教えられたのです。
私は急に恥ずかしくなり、いつかは何においても「本物」を手に入れると決意したのです。
この思い出があるからこそ、私は世に溢れるスーパーコピーに非常に軽蔑感を覚えます。
スーパーコピーの罪
スーパーコピーとは
「海外旅行でロレックスの偽物数千〜数万で安く買ってきた」
というのは時代を超えて語られるよくある土産話です。
最近はコピー業者の技術が上がり、本物か偽物かわからないようなコピー品=スーパーコピーが出回っていると言われています。
バッグに時計にアクセサリー。
「コピーだけど本物とほぼ同じものなら安い方買えば良くない?」
と考える人が出てくるのも仕方ないかも知れません。
私たちは本物から何を得ているのか
スーパーコピーだなんだと言っても所詮は偽物です。
買取業者に持っていって本物と同じ価格で買い取ってくれるかと言えばもちろん違います。
スーパーコピーを買う人は
知っているブランドの偽物だけど精巧なものを安く買える
から買うのでしょう。
決定的にそういう方に足りないものは何かというと執着・愛着です。
どうしてもこれが欲しいという執着無しに買っていますし、それを買ったからといってそれまでの過程に感情がありませんから、愛着もありません。
例えば、デイトナマラソン。
大人気のデイトナを買うため、正規店を何日も何ヶ月も何年も回り、やっと手に入れる。
一部の転売目的の不逞の輩を除いて、ランナーの方は欲しいという執着を持って探し続けるのです。
そうして手に入ったデイトナには想像以上の愛着が生まれるでしょう。
そんなデイトナマラソンをしている方に
「スーパーコピー買えば?」
と言ったところで誰もそうする人はいないでしょう。
なぜなら、本物に魅力を感じ、本物に執着し、本物に愛着を感じるからです。
例えこの後スーパーコピーの技術が進歩をして本物と本当に同じクオリティになったとしても、私たちは本物のブランドに、歴史に、技術に敬意を払い探し求め高い金額を払うのです。
身の丈
なにより、安い金額で手に入れたブランド品の偽物は、その人の身の丈に合うものではありません。
大富豪の方はお好きな物を好きなだけ買えばいいでしょう。
それが身の丈というものです。
ですが自分の欲しいものを買うために悩み、一生懸命金銭的な障壁を乗り越えて背伸びをしてやっと買うという方も多くいるはずです。
私もそうです。
だからといって「やっと買えるような人間がそんなブランドを身につけるなんて身の丈に合わない」とは私は思いません。
購入までのそうした過程で身の丈が合ってくるのではないかと私は思うのです。
仮に背伸びをして買ったとしても、苦労の果てに手に入れた本物は本当にその人に似合う物になる、そう思っています。
さいごに
適当に買った偽物こそ「身の丈に合っていない」と私は思います。
結果として偽物は何も与えてくれません。
簡単に手に入る一瞬の喜びではなく、心から一生愛せる本物を探しましょう。
あなたに、探し求める本物が手に入りますように。
よい本物の生活を。
それでは。
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